BDCA塾『大津祭の見どころ』報告

BDCA塾『大津祭の見どころ』講師 成安造形大学学長 木村至宏さん(元 大津市歴史博物館館長)

10月12日(土)宵宮の曳山町界隈は華やかな雰囲気に包まれて、祭囃子のコンチキチンの音があちこちから聞こえ近隣の商店からは祭にちなんださまざまな売り物の呼び声もあり普段とは違った独特の祭気分に気持もウキウキとはずみました。
季節的に初秋ということもあり京都の祇園祭とはひと味違った風情に包まれていました。
会場は商店街の真ん中にあり壁面には曳山衆の使った法被や手ぬぐいなどがディスプレイされ、すぐ近くに曳山展示館があり宵宮見物の人達も多くにぎやかに開催され会場も入りきれないほどの盛況でした。

以下、講演の抜粋
●大津は江戸時代多くの物産の集まる交通の要衝であった、特に米の搬送に琵琶湖が使われ北陸の米を京都や大阪に運ぶために大津が重要な位置を担っていた、そのため大津の町衆は財力にめぐまれ文化水準も高く大変元気があった。

●そのころ大阪には四国や中国地区からの米と北陸からの米が集まりそれぞれの米の相場は手旗やのろしで合図され取引されていた。
手旗やのろしでの通信手段は新幹線のスピードより速かったと思われる。(余談)

●大津祭は江戸時代はじめ、鍛治屋町の塩売り治兵衛が狸面で踊ったことからはじまったとされているが、寛永15年(1638年)からは三基の曳山を造り、その後近隣の町衆によってさまざまな工夫と贅を尽くした曳山が造られていった。

●大津祭の曳山や地方に残っている曳山も京都に始まった山鉾から派生して各地で形を変えて発展していった、特に中部地区の愛知で盛んになり元禄・安永年間に大津で現在の曳山にととのえられた。

●大津祭の曳山の一番の特徴はそれぞれの曳山に取り入れられている「からくり」が一番の特徴であろう、娯楽の少なかった当時では大変精巧に作られた「からくり」は多くの観衆の目を引きつけたことは想像に難くない、現在残っている曳山のカラクリではこの大津祭がすばらしく14基全部の曳山に付いている、これは数ある地方の曳山祭でもこの大津祭だけである。

●「からくり」のそれぞれの題材は主に中国の故事や能・狂言からとったもので、装飾品の由来とともに当時の大津町衆の財力と心意気が伺える。
特にベルギー製の織物が京都と愛知と大津の曳山で四つに分けられている事は有名である、そのうちの二つは大津の曳山に飾られていると言う。

●「からくり」は巡航中に「所望の場所」と言われる地点でそれぞれの故事由来を語った「からくり」を披露する、少々勉強して見物に望むとより興味深く見られると思う。
(当日曳山界隈では案内パンフレット((社)大津市観光協会)が配られているので熟読すればよい)

●大津の曳山は三輪である、巡航する大津の町は道幅が狭く京都のような四輪の曳山では巡航しずらいので三輪が工夫された、その結果狭い街角での方向転換が可能になった。

●祭の形態も今の形になるまで百数十年かかってそれぞれの町衆の工夫競争で出来上がってきた、「からくり」や三輪の曳山・ゴブラン織りに目が行ってしまいがちだがそれぞれの曳山の天井画にも目を凝らしてほしい、丸山応挙が下絵を描いたものもあるという。

●現在各地で行われている曳山も補修などの職人が不足してこのままでは「からくり」の補修が困難になってくると思われる。

●360年以上続いている大津の曳山祭も親から子・子から孫、それぞれの町衆が伝承してきたおかげである、現在は曳山を引くのもお囃子も男性だけだがこれからは女性の力も借りていくことも考えるべきではないか。

以上、語りきれないニュアンスは抜粋では伝え切れません、短時間ではありましたが分かりやすい言葉で興味深いお話をしていただきました。

◆2003年(平成15年)大津祭は10月11日(宵宮) 12日(本祭)になります。